カウンセリングの本質


カウンセラーとして開業を思い立ち
HPを立ち上げたときに苦労したのが
自分がやっているカウンセリングという仕事を
ことばで説明することの難しさでした。


カウンセリングといえばたいてい
「話をじっくり聴いてもらう」というイメージが沸くかと思いますし
おおむねそのイメージで合っています。


でも、当然ながらただ話を聴いているだけではありません。



そこにはやっている本人でさえ驚くほどの
意識レベル/無意識レベルでの情報収集と分析
ささいなノンバーバルな感情表出を見逃さず捉え
その意味を吟味し

さらにはカウンセラー自身に沸き起こる
イメージや感情を手掛かりにしてクライアントの心理状態を探り
解決の糸口を見つけようとするプロセスが繰り広げられています。


クライアントに自由に話してもらいながら
適宜適切な質問をはさむことによって
話の流れの舵取りはしっかりとカウンセラーが握っています。



また、クライアントの病的なところ
機能が低下しているところだけでなく

クライアントの中にある健康度の高い側面
クライアントの中での高い能力を吟味し
そこに働きかけることも忘れません。



こうしたことがただ話を聴いているだけに見える
カウンセラーの中で繰り広げられているのです。



・・・でも、これを一体、どうやって端的に説明しろと言うの。



特に私は、良くも悪くも「現場で臨床やってなんぼ」なタイプのカウンセラーで
理路整然と教科書的に自分のやっていることを説明するのが苦手だったのです。


それでもHPを作るということは、カウンセリングとは何か
何ができるのかをきちんとお伝えする必要があるわけで
とにかくその作業がとても難しかったのです。



カウンセラーにとっての武器は「ことば」です。


私たちは身体を診ることはできませんし、触れることさえできません。

何かの器具を使ってクライアントを楽にさせてあげることもできません。



ただただひたすら「ことば」だけを武器にして
クライアントの無意識に閉じ込められた感情を見つけ出し
それに名前をつけてあげるのが仕事です。


「あなたの言いたかったことは、こういうこと?」

「あなたの話を聴いていると、こういう風に感じるのだけど」


そうやって言語化できなかったクライアントの思いを
カウンセラーが話を聴くことによって
ひとつの物語に紡いでいく作業が
カウンセリングなのだと思っています。



かつて精神科医である北山修先生が、
「ぼくは臨床心理士は国家資格にならないほうがいいと思っている」
とおっしゃったことがあります。


私は、「それは先生が医者だから言えるのであって
心理士は国家資格になって欲しいと願ってますよ」
と言ったのですが、そのとき先生はこうおっしゃいました。



「それは分かる。でも、心理士は何やっているのか分からないのがいいんだ。

何やってる人なのかよく分からない、そういう人がクライアントと出会って

何やっているかよく分からないことをやっていく。

そこが心理の真髄なのではないか。


国家資格になるということは、何をやっている人なのか明確に定義する必要がある。

医者は、医者ですとしか言えない。医者ではないとは言えない。

でも、国家資格でない心理士は、自分を定義してクライアントに説明する必要がない。そこがいい」と。



国家資格はカウンセラーにとっての悲願のようなものでしたし
国家資格でないがゆえに身分が不安定でしたので
どこか腑に落ちない気持ちがしたものですが

今になって思えばまさにカウンセラーの本質を言い当てていらっしゃったと思います。



そんなわけで、カウンセリングで何をしているのか
ことばでしっかり説明することはとても難しいと思っています。


それは、出会ったクライアントとカウンセラーだけが紡ぐ
世界でただひとつの物語だからです。