カウンセラーの傷つき体験


私が20代に研修を受けたときには
精神分析の大家、故小此木啓吾から

「医師でも看護師でもカウンセラーでも
なにかしら治療に携わろうとする人はたいてい
その人自身がなんらかの傷つき体験を持っている」

なんて言われたりしていたし
その言葉はある意味真実だと思っています。


私たちカウンセラーというか臨床家というものは
多かれ少なかれ自分の心の傷というものに
自覚的であるべきだと私は思っていて

人によっては研修の過程で自分の心の傷に触れ
それを解きほぐしたことで満足して
カウンセリングの道から離れていく人もいるし

それはそれで健全なことだと思います。


最悪なのは自分の心のケアもしないまま
他人のケアをしようとする場合で

それは百害あって一利なしの行為です。

だからこそ私たちは絶えず自己研鑽を
求められているのだし

そもそも自分の心の傷に無自覚な人が
他人のケアができるとも思えません。


ただここで、カウンセリングはテクニックなのか
どうかという問題が生まれてくるというか・・・

もちろん、カウンセリング技法はスキルであり
スキルだからこそ習得し、人に教えることも
可能であるいっぽう

「人を癒す」という行為はスキルだけで行えるのか
という問題にもぶつかると思うのは
私だけでしょうか、どうなんでしょうか。


臨床心理士としてさまざまな研修をうけるなかで
そうした研修が必要だと思いつつ

私が求めているのはこういうこと(テクニカルなこと)
ではないんだよな・・・という
なんともいえない不完全燃焼感も覚えます。

(というか、覚えてばかりいます)


私がずっと求めているのは
「私の苦悩を、私がどう生きるか」
という問題であり

そしてそのことはそのまま

「クライアントであるあなたの苦悩を
あなたはどう生きるのか」

という方向性につながっているのです。


そしてその先にある答えには
けっしてテクニックやカウンセリングスキル
といったものでは到達できないと感じていて

だからこそ私は
「あなたの魂の声を聴く」ことを
何よりも重要だと感じて
この仕事をしているのです。


この世の誰もが地球の重力から離れては
生きていけないように

誰しもが宇宙の法則から外れることはできなくて

あなたの人生に起こるすべてのことは

あなたが体験し、味わい、魂を成長させるために
必要な出来事なのだと思っています。


それをそばにいて見守り

苦しみから意味を見出すお手伝いをするのが
カウンセラーなんじゃないのかな。

どうなのかな。