カウンセリングとスピリチュアル

私は臨床心理士として20年以上にわたり
カウンセリングという仕事を続けてきました。
それこそ20代の頃は臨床心理士という
資格を取得することに必死で
大学院で心理学を学び
精神科クリニックで研修を受け
同時に夜間の精神分析セミナーのスクールに通い
初めて勤めた教育相談所で発達障害の主担当となりー
仕事をしながら空いている時間は
田中ビネーやWISCといった発達検査や
バウムテストなどの心理検査を習得する
研修を受けてきました。
今はほとんど取っていない
ロールシャッハのセミナーにも通ったっけな。
それもこれもすべて
自分がクライアントさんのお役に立てるよう
対人援助職のプロとしてやっていけるように
という思いからでした。
そしてカウンセリングをする以上
自分の課題と向き合うために教育分析も
長年受け続けてきました。
それでもきっと
臨床心理士を取得された方は感じていると
思うのですが
どこまでいっても
いつまでたっても
自分は本当にクライアントの
お役に立てているのだろうか
自分のカウンセリングスキルは
通用しているのだろうか
そして
自分のしていることに意味はあるのだろうかー
そんなことに向き合いながら
ずっと臨床という仕事をしてきたように
感じます。
ドクターから聞いたジョークで
「精神分析で治るのに3年かかり
行動療法で3か月かかり
薬を飲んで3日で治った」
と言われるように
カウンセリングというものは
「治っている」という実感からは
ほど遠いもののように思います。
そうすると私たちカウンセラーは
「クライアントさんが良くなっている」という実感
が欲しくなるのです。
そこで最近注目を集めているのが
認知行動療法といった
潜在意識の問題を解決するというような
「目に見えない、効果も定かでない」療法ではなく
「原因はともかく困っている症状(行動)が
なくなればいいよね」
と効率を求めたものだと思います。
(合理的でもありますし)
でも、臨床心理士を志すような人というのは
基本的に内向的で
目に見えない世界
潜在意識の世界
に惹かれるような人だちだと思います。
だからきっと、心の奥底で
スピリチュアルなものへの憧憬を
どこかで抱えているのではないでしょうか。
また、カウンセリングを行っていると
どこかで理屈では割り切れない
「なぜ自分がこんなに苦しまなければ
ならないのか」
という答えの出ない問いにぶつかることが
あります。
そこでは一般論では通用しない
唯一無二のあなたが苦しむ理由
あなたがその苦しみのなかから
答えを出さなければならない理由が
存在しているような瞬間に
出会うことがあります。
そんなとき、あらゆるカウンセリング技法を超えた
「なぜ?」に答えるためには
私は人知を超えたものへの
祈りにも似たものが必要になってくると
感じています。
それが私にとってのスピリチュアルの意味であり
いわゆる巷でいわれているような
願望実現としてのスピリチュアルとは
少し違うのかなとも感じています。
そして最近特に感じることは
徹底して「現実を生きる」ことの
大切さです。
カウンセリングであろうと
スピリチュアルであろうと
精神分析であろうと
認知行動療法であろうと
エネルギーを扱うものであれ
ヒプノセラピーであれ
今あなたが生きている現実のなかで
あなたが幸せを感じ
自分を許し
親しい人と笑い
健康で
そして生きるに値する人生を生きること
カウンセリングは心を軽くするために
行うだけではなく
あなたが現実としっかり向き合いながら
生きるお手伝いをすること
そんな風に感じています。