地球にはなぜ人がいるのか



新潮社から出ている「BEYOND」という
写真集があります。

(調べたけど、今はネットでも出てきません…)


惑星探査機が見た太陽系のカラー写真集です。



宇宙とか太陽系とかダークエネルギーとか素粒子とか

そうしたワードに無条件に反応してしまう質なため

中学生のときの将来の夢は宇宙飛行士でした。



けれども早々に自分が完璧な文系であり

特に物理を理解することが壊滅的に苦手であると悟り


宇宙の探求ではなく人の無意識の探求に方向転換
したという過去があります。



さて、その「BEYOND」のなかに
次のような文章があります。

第7学年(日本の中学1年生)、英語の小テスト。

先生は「人類が地球上に存在しているのは何のためか」
というシンプルな質問をして、

生徒たちにその場で短い作文をさせる。

時間は15分だ。

by ローレンス・ウェシュラ―


さて、あなたならどう答えますか?


「BEYOND」では、質問者である
ローレンス・ウェシュラ―の娘
サラ・ウェシュラ―の回答が紹介されています。


長くなりますが、以下に引用しますね。


私たち人間が地球をずいぶん傷つけてきたのは事実だけれど、
私たちがこの惑星に存在しているのには理由があると思う。

私たちがここにいるのは、
不思議で、調和がとれていて、
論理も備わっている世界が驚嘆されることを必要としているからだと思う。

それに、そういうことのできる能力があるのは(わかっているかぎりでは)私たちの種だけだからだ。

人類だけが、私たちのまわりに何があるのかと思いはかれるだけでなく、
それがどうして私たちのまわりにあるのか、
どんなふうに動いているのかを問えるのだ。

私たちがここにいるのは、私たちがここでよく見ていなければ、
世界の素晴らしい複雑さが無駄になってしまうからだ。

それから最後に、私たちがここにいるのは、なぜ世界がそこにあるのかを考える
存在を世界が必要としているからだ。

サラ・ウェシュラ―



ローレンス・ウェシュラ―は、

「不思議と調和と論理化、なるほど。
これに美と優雅さを加えてもいいだろう」

とつけ加えています。


そしてさらに、

「必然的にはかなく、ちっぽけで、実に不確かな
人間のまなざしに見つめられなければ、
それらすべてはーそれらすべては無駄なのだ」

とも。



宇宙はあなたに見られるー発見される必要があり

私たちは宇宙を見るために存在している。


現実世界は確かで不動で
自分ではどうしようもできないものではなく

あなたのまなざし一つでその姿を変える
可能性がある。


私は最近、そんなことを考えています。



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