被災地支援の仕事で感じたこと

喪失体験というものはカウンセリングにおいても重要なテーマであり
特にフロイトの精神分析では主要な関心ごとのひとつだったかと思います。


臨床心理士の仕事のひとつとして被災地支援があり
私も東日本大震災のとき
当時の臨床心理士会からオファーを受けて
避難直後のさいたまスーパーアリーナと
避難所として何年もたってからの
加須市の学校に被災地支援に入ったことがあります。


それともうひとつ
やはり被災してからしばらくしてから
福島県の南相馬市に赴いたこともありました。


これは南相馬市の乳幼児健診をサポートするために派遣されたもので
電車とバスを乗り継いで南相馬市まで行き
現場の乳幼児健診のお手伝いをしてきました。


といっても当時すでに役場も保健センターも機能しており
本当にただのサポートだったのですが
それでも南相馬市の保健師さんには
「来てもらえるだけで心強い」とおっしゃっていただきました。



今現在も、九州地方では雨が降り続いていますね。

「令和2年7月豪雨」と名付けられたとか。

テレビで川が氾濫した映像などを見ていると
被災地支援で福島に行ったときのことが思い出されました。




日常が失われることー。


この喪失の大きさは
本当にことばだけでは想像もできないほどの衝撃であり
当事者にとってはまだまだ続く苦しみの始まりなのだと思います。


テレビで見ているとつい「被害の大きさ」に気持ちが向いてしまい
そこで暮らすひとりひとりの苦しみが
「被災地」という一言に吸収されてしまうように感じます。



南相馬市では現地の人たちはまるで被災から少しずつ立ち直り
日常生活を取り戻しているように見えました。


赤ちゃんをあやすお母さん
そのお母さんたちをサポートする保健師さん

町は機能しており
人々の生活も普通に戻っているように見えました。

多少、ほんの少し不便であったとしても。



でもそこである年配の女性と会話していたとき
「ああ、やっぱりここは被災したんだ」と感じたことがありました。



それは近くにある海を話題にしているときで
私が何気なく
「あの海は海水浴もできるんですか?」と聞いたときです。


その方は少し遠くを見るような目をしながら
つぶやくように私にこう言ったのです。


「ええ、そう・・・。昔はね。でも、今は無理。人がたくさん亡くなったから」



近くにいつもある海。

家族や友人と遊びに行ったごくごく普通の
日常の光景にある海。


今でも同じようにそこにあるのに
でも決定的に違う意味を持ってしまった海。



私も海の近くで育ったので
人の育った記憶の中に海(山でも、湖でも、川でも)があること
の重要性が分かります。


でもある日を境に日常が一変し
同じ景色を見ながら人は今までとは違うものを見るようになるのです。



それは被災といった大きなものから
事故や病気、大切な人を亡くしたり
ペットロスでだって起きることです。



心理療法では喪失体験を癒すプロセスのことを
「モーニングワーク(喪の仕事)」と呼ぶのですが

これはカウンセラーという支える人がいることによって

その人が「悲しみをしっかり味わうこと」

「悲しみ尽くすことができること」

をサポートするものです。



人はあまりの悲しみを前にすると心が壊れてしまいそうになるため
その悲しみを心の底にしまい込んでしまうことがあります。


また「被災」といった大規模な出来事だと
「自分だけではない」
「みんな同じように苦しんでいるから」といった心理が働き

自分自身の悲しみを過小評価してしまうこともあります。


でも日常が失われることは
それこそ大変な喪失体験であり

打ちのめされてしまうほどのダメージなのです。


もちろん、だからといって無理に悲しまなくてもいいのです。


人はそれぞれストレスに耐えられる力の強弱が違うので
同じ体験をしても案外平気な人もいますし
立ち直れないほどのダメージを受ける人だっています。


どちらが正解というものではありません。



九州の方たちにとってもこの豪雨がおさまってからも近くに流れる川は
同じように日常の光景にあるのだと思います。



そして日本人はこうした天災に何度も遭いながら
「諸行無常」といった思想を創り上げたのではないかと想像しました。



紙と木でできた家。

西洋のレンガでできた家に比べたら
まさに吹けば飛ぶような家。


でも、倒れても破れても、すぐに直すことのできる家。


そこには物に執着しない
失うことを必要以上に恐れない心理
が育まれていたように感じてなりません。


そんなことを、ちょっと考えてみました。