私をカウンセラーへと導いた人

私の臨床の師はドクターのH先生ですが
私を心理の道に導いたのは
大学のときに出会ったひとりの教授です。
まさに私にとっての
オビ=ワン・ケノービのような存在です。
小さいころからなりたい職業が思い浮かばず
幼稚園のときに「将来の夢」が書けずに
長時間固まっていた私に業を煮やし
保育士さんに「もうお母さんって書いておきなさい!」
と言われて将来の夢は「お母さん」とか
しぶしぶ書いていた私。
受験戦争と呼ばれた時代の
過酷な第二次ベビーブーマなのですが
「いい大学に入っていいところに就職する」
という価値観にさっぱりなじめず
将来の採算度外視で心理学を専攻し
そして出会ったのがT先生です。
もともとユング心理学に興味を持ち
大学のゼミ選択のときに
「スイスのユング研究所に行きたい」
と訳も分からず書いたのがT先生の目にとまり
「君か、ユング研究所に行きたいとか書いたのは」
とにやりと笑ってからは
なにかと目をかけていただきました。
私はそのT先生の授業に惹かれ
T先生みたいな大人がなってる職業になら
なってみてもいいとかいう
積極的なんだか消極的なんだか分からない理由で
私も臨床家になるって決めました。
臨床心理士たるもの生涯の学びを
義務づけられているのですが
多くの研修会や講習会があるなかで
ふたつの大道たる修業がありまして
それが以前H先生のところで書いた
「スーパービジョン」を受けることと
実際に自分がクライアントとして
カウンセリングを受ける「教育分析」
というものがあります。
みんながみんな教育分析を
受けるわけではありませんが
私は大学を卒業したあとT先生に
ずっと教育分析をしていただきました。
それこそ結婚して子どもを出産してからも
頻度は減りながらも受け続けていました。
そこまでくると私にとってのT先生は
もう心の実家とでもいうべき存在で
まだ若かったころなんて
「先生の奥様も臨床心理士でしたよね?
先生が死んだら私のことは
奥様にちゃんと引き継いでおいてくださいね」
と無茶なお願いまでする始末。
もちろん「ばかもの」って怒られましたが
それくらいT先生のことを頼りにして
経験を積んできました。
自分が教育分析を受けるということは
私の中にT先生のひな型ができるということです。
まだまだ右も左もわからないルーキーのとき
T先生が私に言ったことばや
質問の仕方が思い出され
それに導かれるようにカウンセリングを
進めていることもありました。
カウンセリングって誰にでもできそうで
でもやっぱりある一定のレベルには
プロとプロでない者との差があります。
人生は出会うべく人と出会うように
なっているのだなと思っています。